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大学時代の人たち(共家三成)

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大学時代の人たち(共家三成)


人の間で人を観察し人の中で暮らすこと。これが私に課せられた学生生活であった。
半兵衛様からの勅命だ。気が進まなかったが半兵衛様は半兵衛様の御考えがあるのだろう、とすぐさま有象無象の巣に単身乗り込んだ。
しかしいざ暮らしてみれば、寮は怠惰な塵芥ばかりで腹が立ち、私は他人に殊更興味を持たなくなった。
秀吉様と半兵衛様と、自分と、刑部と。それだけいればよかった。家康は相変わらず私と衝突しながら干渉してくる。官兵衛は秀吉様や半兵衛様の裏をかこうと私と刑部の目の前を通る。鬱陶しかった。
私は卒業後、秀吉様の会社で秀吉様の御為に秀吉様の部下として働ければそれでいい。今も昔も未来永劫そのつもりで生きてきた。

やがて怠惰な者達は自滅し去っていった。喧しかったここもようやく静けさを取り戻したが、大学図書館に籠る事は辞めず、多少遠くとも刑部の家に行き、朝が来るまで勉学を続けた。すべては秀吉様のために。

2回生の秋、元々決定されていた内定が正式に決まり、私は単位修得や論文、秀吉様の会社に関する全ての知識を身につける事に専念した。当然、自室には寄り付かなかった。

3回生の冬、部屋にスーツを取りに行った。その頃には靴も名の書かれた木札も片手で数えるほどしかなかったが、毛利の名は未だそこにあった。

「あれ、」

部屋の鍵を取り出した所で声がしたのを覚えている。
視線をそちらに向けると、盆を持った女が驚愕した顔で私を見ていた。

「久しぶりに見た…い、石田くんだっけ。政治学の」
「…」
「あ、どうぞ、お構いなく」

促された私は鍵を開け、久方ぶりの自室に入る。元々物が少なかったため、目的のものはすぐに見つかった。そのまま部屋を出る。女はまだそこにいた。

「あ、どうぞ、お構いなく」
「…」

女が持つ盆をちらりと見る。白地に紺の花模様の湯呑み、蜜柑が3つ、不自然な水の溜まり。そのまま顔へと視線を上げると女はすぐさま下を向いた。その拍子に落ちる水の玉。

「涙か」
盆の上の水溜まりの正体を声に出すと、女は少し遅れて「違います」と返した。

「ならば何だ」
「結露です。ほら今日寒いから」
「結露は外気と内気の差があって出来るものだ」
「じゃあ、私の熱い想いと会社の冷たい決断の差によって出来たものです」

この女は何を言っているのか。
暫く考え、就職の事を指していることに気付く。

「石田くんはもう就職先決まってるんだよね」
「…それがどうした」
「その会社に決まったのは運命だと思う?」

女は顔を上げず私に問う。頭頂からさらりと一房、髪が落ちた。目で追いながら口を開く。

「運命ではない、宿命だ。当然あるべき結果だ。私の過去と未来は秀吉様の為にある」
「そう。ありがとう。就職おめでとう」

女は盆の上の蜜柑を一つ取り、私に投げた。

「それ餞別」
「いらん」

投げ返すと、女は顔を上げずにぱしりと受け止めた。
勘所がいいのか、それとも偶然なのか。目を細めるが表情は見えない。腹が立った。

「顔を上げろ」
「今とても醜い顔なのでお断りいたします」
「貴様の容姿などどうでもいい。顔を上げろ、私を見ろ」
「石田くんが通り過ぎたら上げるよ。それより急がなくていいの?用事があって来たんでしょ?」

そう返され、本来の目的を思い出す。私はこのスーツを持って刑部の家に行く。たったそれだけの為にここに来た。名も知らぬ女に割く時間は無駄でしかない。

 

それでも。

 

女の前へと歩を進め、盆の上から蜜柑を一つ奪い取る。

「餞別を受け取ってやる。代わりにその無様な顔を見せろ」

理由を見つけた。これで無駄な時間では無くなった。ただこの女の顔を見て、一言切り捨て、終わりだ。
なぜかこの時はそうしなければ気が済まなかった。理由など知らん。

「……そういうの、ずるい」

女は不満気に呟きながらもどこか笑っていた。

「石田くんって女心全然分かってないね」
「そんなもの知る価値もない」
「これから必要になってくるよ。ほんとにいろいろ。…社会に出るとはそういう事だよ」

語尾を震わせ、一粒の涙を落とし、女はゆっくりと顔を上げた。

さらり、垂れ下がった髪が元に戻る。
頬を伝う涙跡の上に、鈍く光る睫毛の下に、その瞳は強く輝いていた。


「私もそういう縁が欲しい。誰かの為に生きたい。就職したい」


このとき、私はこの女の存在を初めて認識した。
化粧は崩れ、涙跡は幾筋も顎下へと伸び、鼻は赤く唇は何度も噛み締めていたのだろう、紅く染まり少し切れていた。文字通り、無様な顔だ。

「…知ったことか」

それでも目を離さずにいた。
私の知る脆弱で堕落し下卑た振舞いをする『女』でもなく、連戦連敗の負け犬でもない。そのどちらでもあるのにどちらでもないこの女は一体何だ。

なぜ貴様は挑み、負け続けている。
その目は勝者のする目だ、甘さを持たぬ目だ。
貴様はいつからここにいた。なぜ今まで存在感を消していた。なぜ貴様は、

「…まあ、石田君がここにいてよかった。もうちょっとだけ頑張ってみる、それで駄目なら仕方ないかも」

そうして顔を落とす。

「…落涙を生み出す理由も分からん弱者に明日はない」
「分かってるよ」
「貴様は何も理解していない。重力に抗ってみせろ」

それだけ言って私は歩き出す。
振り返りはしなかった。
ただ、あの女の名は何だったか。
長く住んでいたのに知りもしなかった。
それだけが気になった。

数日後帰ると、女は毛利に定規の切っ先を突きつけられていた。ころころころり、表情が変わる。毛利がそれに応える。珍しい光景だと見知らぬ者が呟く。
その時に、あの女が という名であることを知った。

女は私の記憶に留まった。
強い光を持ちながらそれを翳らせ、瞬かせ、静かに、いつでも変わらぬ場所で変化する。
まるで星のような女だと4回生の冬、女自身から内定の知らせを耳にして思った。

 

(餞別返しには蜜柑をくれてやった)

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