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「おおーい!!スイカを一緒に食べないか!」
熱風と共に、威勢のいい声が部屋まで入ってきた。この声の持ち主は家康くんだ。
隣(といっても100メートル以上距離がある)に住んでいる彼は同い年で、この何もない田舎のちょっとした有名人だった。
なんでも昔このあたりを治めていた戦国武将の末裔らしい。名前も同じだし、遺されていた肖像画ともそっくりなんだって。
だからか、古くからここに住んでいるお年寄りは家康くんを見ると神様でも見たように拝み始める。
おいおいよしてくれ、と困ったようにその手を取る彼を何年も見てきた。
「食べるから持ってきて~…」
お腹から声を出す気力も無く、適当に返事をすれば、それが運よく耳に入ったのか「うむ!失礼するぞ!」と玄関を開ける音。
今日はお母さんもおばあちゃんもいない。周辺の人たちと公民館の民謡大会に参加しているからだ。お父さんは釣りにでも行っているのだろう。
ギッ、ギッ、と階段を上がる音が近付いてきた。今更体裁を気にする間柄ではないが、乱れたスカートだけでも整えようとのそりと起き上がる。
「出かけるぞ」
ドアも開けずに彼はそう言った。
「家康くん?」
「着替えたら開けてくれないか?」
いつもは遠慮がちにドアを叩いて、私が返事をして、それから彼がそっとドアを開けるのに、少し様子が違っていた。
有無を言わさない空気と熱風に曝されるドアが私たちの間にあった。どうしたのだろう。
「今日はおつかい行ってきたからすぐに出れるよ」
念のため鏡で髪や服を確認して整え、こちらからドアを開ける。
豊かな筋肉に流れる汗と、爽やかな熱気と、いつもの様にまぶしい笑顔をした家康くんが「ああ。スイカはとある場所に置いてきたんだ!」と元気に言った。
彼が漕ぐ自転車、通称『忠勝』の後ろに乗って、私達は少し遠くにある森に入った。
「あ、虫よけスプレーするの忘れちゃった」
「ああすまない、一言言っておけばよかったな。これで軽く汗を拭いておくといい」
そう言いながら彼は白いタオルを差し出してきた。受け取ると、ほのかに香る薄荷の匂い。
「薄荷は虫よけにもなるそうだ。向かいのトメさんが教えてくれた」
「トメさんは何でも知ってるね」
「ああ。も薄荷、好きだろう?」
「うん、家康くんも何でも知ってるね」
「絆のおかげだ」
ふふ、と二人で笑い合いながら奥へと進む。
相変わらず蝉がうるさくて、木漏れ日の光は焼けるように暑かったけれど、首元に巻いた薄荷のタオルが私に涼しさを与えてくれていた。
「スイカが遠い…」
「もうすぐだ。足場が不安定になるから気を付けてくれ」
少し先を歩く彼の、そのまた先から、水の音が聞こえてきた。川だ。川の音がする。
足元に大粒の石や岩が見えてきたところで、家康くんは私を振り返り、「危ないぞ」と手を差し出してきた。
すこしだけ、躊躇した。
彼の手は大きすぎて、私の手をすっぽりと覆ってしまうから。
それがなんだか恥ずかしく思ったのは一体いつからだろう。
当の彼はそんなことを意識しないまま、毎年ここへ帰ってくる私の手を引く。
ごつごつしていて温かい手。年々大きく成長する彼の手は、いつか誰かの心を温かく包み込むのだろう。
それまでは、できるだけ細く長くこの関係を続けられたらいいなと思っていた。
ひんやりとした空気が風に乗って私達を迎える。
川だ。流れる水、木々が揺れる音、蝉の大合唱、照りつける太陽と青い空、遠くに見える入道雲。絵に描いたような『夏』がそこにあった。
「うわあ…」
「探検をしていたら見つけた。ここはワシとの秘密の場所だ。スイカもここに冷やしておいた」
なかなかいいだろう?と得意げに笑いながら、彼は半ズボンをさらに捲り上げる。
どっしりとした脚には綺麗に日焼けの境目ができていた。ああ、私の嫌いな夏がなんて似合う。
「みんなには内緒だぞ?…っとと、」
川に入り、思い出したように振り向く彼がバランスを崩す。
次に踏み込んだ場所が悪かったのか、足を滑らせてそのままどぼん、と尻餅をついた。
「家康くん!」
「………はは。恰好がつかないな」
慌てて片手でスカートをたくし上げながら手を出すと、彼はほんのすこしだけ驚いた顔をして、
それから照れたように頭を掻きながら困り顔で笑った。
その顔があんまりにもまぶしくて、私は慌ててスイカに目をやる。ああもう、まぶしいものは大嫌いだ。夏なんて特にそうだ。
「ワシは大丈夫だ。濡れるから上がっていてくれ」
「でもすぐ拭かないと風邪引いちゃうよ」
「これくらいなら大丈夫さ。元親は毎日海に入っているが風邪を引いたところを見たことがない」
「元親くんはあれだよ、もっと違う意味で風邪引いてないだけだよ」
「おっ、言ったな?」
「あっ、駄目、本人には伝えないで!」
ははは、と笑いながら体勢を立て直し、家康くんはTシャツを絞る。
透けて浮き上がる身体のラインと、直接見えた割れた腹筋にどきりとした。
岩に引っ掛けていたネットの中に、中玉程度のスイカが流れに乗ってぷかぷかと浮いている。
家康くんはざばざばと音を立てながらそれに近付き、ネットごと引き揚げ、肩で担ぎながらまたざばざばと戻ってきた。
私はそれを浅瀬でぼうっと見ているだけ。結局手も取ってくれなかったし、少しくらい、役に立ちたかったなあ。
「よく冷えているぞ!ほら!」
「…おお…」
ネットを取り外し、渡されたスイカは見た目の割にずしりと重く、いい感じに冷えていた。
この重さならさぞかし中身が詰まっているだろう。味も甘いに決まっている。
「家に持ち帰って食べよう」
「うん」
「だがその前に少し涼んでいかないか?さっき転んだとき、ちょうど良さそうな岩場を見つけたんだ。ほら、あそこ」
スイカに見入っていた私は顔を上げ、家康くんが指差したところに首を回す。
少し低い岩場だったけれど、ちょうどよく日陰になっていた。なるほどあそこなら座って川に足を浸せば十分な涼が取れそうだ。
近くの岩に再びスイカを引っ掛け、私たちはそちらへ向かうことにした。家康くんはまた、簡単に私の手を引いた。
「うわあ涼しい!いいね!気持ちいい!」
「だろう?喜んでくれて良かった。ああ、ここは本当に涼しいな」
流れる水は足の熱を溶かし、木々の葉はあの陽射しからそっと守ってくれる。
依然として暑かったけれど、岩や石にぶつかり霧状になった水がとても心地よかった。
「来年もここに来ような、。…約束してくれるか?」
「いや、来年こそは私の部屋にクーラーを付ける!あんまり外に出たくないもん」
「ううん…涼しくなるのはいいが、そんな悲しいことを言わないでくれよ」
「家康くんが連れ出してくれたら行くよ。………たぶん」
首にかけたタオルを外し、彼に渡す。
「使いなよ。薄荷は水に溶けるとさらに冷涼効果を生み出すんだってさ」
「そうなのか?」
「夏が嫌いな私が必死で覚えた知識です」
「物知りだなあ」
「物知りでしょう」
得意げにふふん、と笑うと、彼は優しく微笑んで自分の首を拭う。
「おお、ほんとうだ」
「でしょう?ホントは当てずっぽうだったんだけど」
「…ははっ!でも本当だったぞ、はすごいな!」
上体をこちらに向け、私の肩を二、三回叩きながら、家康くんは本当に楽しそうに笑った。
ああまぶしい。私は思わず視線を足元に向ける。すると視界に入った彼の脚が、私にほんの少し近付いた。
詰められた距離に、緊張して身体を固くする。
「なあ、」
「…うん?」
「夏は嫌いか?」
「うん」
「じゃあ、スイカや夏祭りは嫌いか?」
「ううん。それは嫌いじゃないけど、日中のこの暑さが本当に駄目でさ」
「そうか。…じゃあ涼しいところをたくさん探しておこう、それならいつでも連れ出せる」
ざばん、隣の家康くんが目の前の川に入った。
タオルは私の膝の上。
ざばざばと陽の当たる所まで彼は進む。そして振り返った。
「ワシは夏が好きだ。生命溢れる夏、かつてのワシが命を懸けて生きた夏」
見慣れているはずなのに、見たことのない家康くんが、そこにいた。
「ワシは夏が好きだ」
木々に挟まれた、流れる川の真ん中で、青い空に浮かぶ入道雲を背に、太陽の光を受けながら真っ直ぐに立つ家康くん。
まぶしいのに、まぶしすぎるのに、目を奪われた。
ああなんて夏が似合う。水に濡れた身体は逆に太陽の熱を取り込むことを好んでいるようだった。
ああ、なんて夏が似合う。
「それ以上に、お前のことが好きだ。夏が嫌いなのことが好きだ。だからこの手を取ってほしい。ワシがどこへでもお前を連れ出そう」
私の嫌いな夏は只々まぶしくて、彼が差し出した手は熱すぎた。
それでも私は、こんなに涼しい場所があるなら、家康くんと一緒なら、夏だってなんだって、どこに行ったっていいと思った。